枕邊の障子が白み初めた許りの時

[#6字下げ]八[#「八」は中見出し]

 翌朝は、枕邊の障子が白み初めた許りの時に、お定が先づ目を覺ました。嗚呼東京に來たのだつけと思ふと、昨晩《ゆうべ》の足の麻痺《しびれ》が思出される。で、膝頭を伸ばしたり屈《かゞ》めたりして見たが、もう何ともない。階下《した》ではまだ起きた氣色《けはひ》がない。世の中が森と沈まり返つてゐて、腕車《くるま》の上から見た雜沓が、何處かへ消えて了つた樣な氣もする。不圖、もう水汲に行かねばならぬと考へたが、否、此處は東京だつたと思つて幽かに笑つた。それから二三分の間は、東京ぢや怎《どう》して水を汲むだらうと云ふ樣な事を考へてゐたが、お八重が寢返りをして此方へ顏を向けた。何夢を見てゐるのか、眉と眉の間に皺寄せて苦し相に息をする。お定はそれを見ると直ぐ起き出して、聲低くお八重を呼び起した。 お八重は、深く息を吸つて、パッチリと目を開けて、お定の顏を怪訝相《けげんさう》にみてゐたが、『ア、家《え》に居《え》だのでヤなかつたけな。』と言つて、ムクリと身起した。それでもまだ得心がいかぬといつた樣に周圍《あたり》を見※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]してゐたが、『お定さん、俺《おれ》ア今夢見て居《え》だつけおんす。』と甘える樣な口調。『家《え》の方のすか?』『家の方のす。ああ、可怖《おつかな》がつた。』と、お定の膝に投げる樣に身を恁《もた》せて、片手を肩にかけた。 其夢といふのは恁《か》うで。――村で誰か死んだ。誰が死んだのか解らぬが、何でも老人だつた樣だ。そして其葬式が村役場から出た。男も女も、村中の人が皆野送の列に加つたが、巡査が劍の柄に手をかけながら、『物を言ふな、物を言ふな。』と言つてゐた。北の村端から東に折れると、一町半の寺道、其半ば位まで行つた時には、野送の人が男許り、然も皆洋服を着たり[#「着たり」は底本では「來たり」]紋付を着たり[#「着たり」は底本では「來たり」]して、立派な帽子を冠つた髭の生えた人達許りで、其中に自分だけが腕車の上に縛られてゆくのであつたが、甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57]《どんな》人が其腕車《くるま》を曳いたのか解らぬ。杉の木の下を通つて、寺の庭で三遍※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つて、本堂に入ると、棺桶の中から何ともいへぬ綺麗な服裝をした、美しいお姫樣の樣な人が出て中央《まんなか》に坐つた。自分も男達と共に坐ると、『お前は女だから。』と言つて、ずっと前の方へ出された。見た事もない小僧達が奧の方から澤山出て來て、鐃《ねう》や太鼓を鳴らし始めた。それは喇叭節の節であつた。と、例《いつも》の和尚樣が拂子《ほつす》を持つて出て來て、綺麗なお姫樣の前へ行つて叩頭《おじぎ》をしたと思ふと、自分の方へ歩いて來た。高い足駄を穿いてゐる。そして自分の前に突つ立つて、『お八重、お前はあのお姫樣の代りにお墓に入るのだぞ。』と言つた。すると何時の間にか源助さんが側に來てゐて、自分の耳に口をあてて『厭だと言へ、厭だと言へ。』と教へて呉れた。で、『厭だす。』と言つて横を向くと、(此時寢返りしたのだらう。)和尚樣が※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つて來て、鬚の無い顎に手をやつて、丁度鬚を撫で下げる樣な具合にすると、赤い/\血の樣な鬚が、延びた/\臍のあたりまで延びた。そして、眼を皿の樣に大きくして、『これでもか?』と怒鳴つた。其時目が覺めた。 お八重がこれを語り終つてから、二人は何だか氣味が惡くなつて來て、暫時《しばらく》意味あり氣に目と目を見合せてゐたが、何方《どつち》でも胸に思ふ事は口に出さなかつた。左《さ》う右《か》うしてるうちに、階下《した》では源助が大きな※[#「口+愛」、第3水準1-15-23]《あくび》をする聲がして、軈てお吉が何か言ふ。五分許り過ぎて誰やら起きた樣な氣色《けはひ》がしたので、二人も立つて帶を締めた。で、蒲團を疊まうとしてが、お八重は、『お定さん、昨晩《ゆべな》持つて來た時、此蒲團どア表《おもで》出して疊まさつてらけすか、裏出して疊まさつてらけすか?』と言ひ出した。

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