まだ頭腦《あたま》の中が全然《すつかり》覺めきらぬ樣で

 二人は、まだ頭腦《あたま》の中が全然《すつかり》覺めきらぬ樣で、呆然《ぼんやり》として、段々後ろに遠ざかる村の方を見てゐたが、道路の兩側はまだ左程古くない松並木、曉の冷さが爽かな松風に流れて、叢の蟲の音は細い。一町許り來た時、村端れの水汲場の前に、白手拭を下げた男の姿が見えた。それは、毎朝其處に顏洗ひに來る藤田であつた。お定は膝の上に握つてゐた新しい※[#「巾+扮のつくり」、U+5E09、182-上-8]※[#「巾+兌」、U+5E28、182-上-8]《はんけち》を取るより早く、少し伸び上つてそれを振つた。藤田は立止つて凝然《じつ》と此方《こつち》を見てゐる樣だつたが、下げてゐた手拭を上げたと思ふ間に、道路は少し曲つて、並木の松に隱れた。と、お定は今の素振《そぶり》を、お八重が何と見たかと氣がついて、心羞《うらはづ》かしさと落膽《がつかり》した心地でお八重の顏を見ると、其美しい眼には涙が浮んでゐた。それを見ると、お定の眼にも遽かに涙が湧いて來た。 盛岡へ五里を古い新しい松並木、何本あるか數へた人はない。二人が髮を結つて了ふまでに二里過ぎた。あとの三里は權作の無駄口と、二人が稚い時の追憶談《おもひでばなし》。

 理髮師《とこや》の源助さんは、四年振で突然村に來て、七日の間到る所に驩待《くわんたい》された。そして七日の間東京の繁華な話を繰返した。村の人達は異樣な印象を享けて一同多少づつ羨望の情を起した。もう四五日も居たなら、お八重お定と同じ志願を起す者が、三人も五人も出たかも知れぬ。源助さんは滿腹の得意を以て、東京見物に來たら必ず自分の家に寄れといふ言葉を人毎に殘して、七日目の午後に此村を辭した。好摩《かうま》のステーションから四十分、盛岡に着くと、約の如く松本といふ宿屋に投じた。 不取敢《とりあへず》湯に入つてると、お八重お定が訪ねて來た。一緒に晩餐《めし》を了へて、明日の朝は一番汽車だからといふので、其晩二人も其宿屋に泊る事にした。 源助は、唯一本の銚子に一時間も費《かゝ》りながら、東京へ行つてからの事――言語《ことば》を可成《なるべく》早く改《あらた》めねばならぬとか、二人がまだ見た事のない電車への乘方とか、掏摸《すり》に氣を附けねばならぬとか、種々《いろ/\》な事を詳《くど》く喋《しやべ》つて聞かして、九時頃に寢る事になつた。八疊間に寢具が三つ、二人は何れへ寢たものかと立つてゐると、源助は中央《まんなか》の床へ潜り込んで了つた。仕方がないので二人は右と左に離れて寢たが、夜中になつてお定が一寸目を覺ました時は、細めて置いた筈の、自分の枕邊《まくらもと》の洋燈《ランプ》が消えてゐて、源助の高い鼾《いびき》が、怎《どう》やら疊三疊許り彼方《あつち》に聞えてゐた。 翌朝は二人共源助に呼起されて、髮を結ふも朝飯を食ふも夙卒《そゝくさ》に、五時發の上り一番汽車に乘つた。

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