四邊《あたり》がもう薄暗くなつて行く

と源助さんはまたしても笑つて、『一度東京へ行きや、もう恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57]《こんな》所にや一生歸つて來る氣になりませんぜ。』 お八重は「歸つて來なくつても可い。」と思つた。お定は「歸つて來られぬ事があるものか。」と思つた。 程なく四邊《あたり》がもう薄暗くなつて行くのに氣が附いて、二人は其處を出た。此時までお定は、まだ行くとも行かぬとも言はなかつたが、兎も角も明日|決然《きつかり》した返事をすると言つて置いて、も一人お末といふ娘にも勸めようと言ふお八重の言葉には、お末の家が寡人《ひとすくな》だから勸めぬ方が可いと言ひ、此話は二人|限《きり》の事にすると堅く約束して別れた。そして、表道を歩くのが怎《どう》やら氣が咎《とが》める樣で、裏路傳ひに家へ歸つた。明日返事をするとは言つたものゝ、お定はもう心の底では確然《ちやん》と行く事に決つてゐたので。 家に歸ると、母は勝手に手ランプを點けて、夕餉の準備《したく》に急はしく立働いてゐた。お定は馬に乾秣《やた》を刻《き》つて鹽水に掻※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《かきまは》して與《や》つて、一擔ぎ水を汲んで來てから夕餉の膳に坐つたが、無暗に氣がそはそはしてゐて、麥八分の飯を二膳とは喰べなかつた。 お定の家は村でも兎に角食ふに困らぬ程の農家で、借財と云つては一文もなく、多くはないが田も畑も自分の所有《もの》、馬も青と栗毛と二頭飼つてゐた。兩親はまだ四十前の働者、母は眞の好人物で、吾兒にさへも強い語一つ掛けぬといふ性、父は又父で、村には珍しく酒も左程|嗜《たしな》まず、定次郎の實直といへば白井樣でも大事の用には特に選り上げて使ふ位で、力自慢に若者を怒らせるだけが惡い癖だと、老人達が言つてゐた。祖父も祖母も四五年前に死んで、お定を頭に男兒二人、家族といつては其丈で、長男の定吉は、年こそまだ十七であるけれども、身體から働振から、もう立派に一人前の若者である。 お定は今年十九であつた。七八年も前までは、十九にもなつて獨身でゐると、餘《あま》され者だと言つて人に笑はれたものであるが、此頃では此村でも十五六の嫁といふものは滅多になく、大抵は十八十九、隣家の松太郎の姉などは二十一になつて未だ何處にも縁づかずにゐる。お定は打見には一歳《ひとつ》も二歳《ふたつ》も若く見える方で、背恰好の※[#「女+亭」、第3水準1-15-85]乎《すらり》としたさまは、農家の娘に珍らしい位、丸顏に黒味勝の眼が大きく、鼻は高くないが笑窪《えくぼ》が深い。美しい顏立ではないけれど、愛嬌に富んで、色が白く、漆の樣な髮の生際の揃つた具合に、得も言へぬ艶《なまめ》かしさが見える。稚《ちひさ》い時から極く穩しい性質で、人に抗《さから》ふといふ事が一度もなく、口惜しい時には物蔭に隱れて泣くぐらゐなもの、年頃になつてからは、村で一番老人達の氣に入つてるのが此お定で、「お定ツ子は穩《おとな》しくて可《え》え喃《なう》。」と言はれる度、今も昔も顏を染めては、「俺《おら》知らねえす。」と人の後に隱れる。

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